続・青月20日。魔法について

 

 

 

 

 


・前置き

眠れないのでもう少し書いてみよう。
さっきがあまりにもちゃらんぽらん(しおねさんの特許)だったので、
もう少し真面目にやっていく所存だ。

今度は感情の割と深いところをさらけ出す内容に
なると思うので、ご注意いただきたいのだ。

……って、誰に言っているのだろうな。
僕以外にこの日記を読める人はいないはずだ。
ただなぁ、僕は結界術は苦手だから、
この程度の鍵は簡単に破られるかもしれない。
まあ、うっかり結界を破ってこの日記を
読んでしまった方がいても、僕としてはあまり気にしないので、
後で感想か何かを聞かせてくれればいい。

前置きが長くなった。


・魔法について

魔法は誰でも使える。僕はそう思っている。
一般人(非魔法人)と魔法人という分け方は、僕はしたくないのだ。
例えば、筋トレをすると筋力が上がるというのは、立派な強化魔法だ。

わかってる、異論はあるだろう。
魔法と、魔法でないものにははっきり違いがあるのだから。
魔法でないもの、というのは少し長いので、ここでは科学と呼ぼうか。

科学と魔学では、扱うものが違う。
科学では主に質量のあるものを扱うのに対して、
魔学では主に質量のないものを扱う。
原子を扱うか、魔原子を扱うかの違いと言ってもいい。

科学と魔学で共通するのは、どちらもエネルギーを扱うことだ。
ただし、科学で扱われるのは原子由来のエネルギーであるのに大して、
魔学では主に魔原子由来のエネルギーを扱う。
科学では質量のある原子だけを操作し、エネルギーをコントロールする。
魔学では質量のない魔原子も操作して、エネルギーをコントロールする。

もちろん、原子も魔原子もそのままの状態で
ふわふわ漂っているのではなく、分子を形成しているのが普通だ。

魔法と科学は確かに違うが、
基本的なつくりはそんなに変わらない。
魔学は科学の延長だと言ってもいいだろう。
科学では魔原子は扱わない、いや、扱えないが、
魔学では魔原子だけでなく、原子も扱うことになるのが普通だからな。

昔は、科学では扱えないものを魔法と呼んだ。
今はそれを普通に扱うことができているわけだ。
魔原子の存在を、人々が感じられるようになったのだ。

 

さて、話がそれてしまったな。僕が言いたかったのは、
一般人(非魔法人)と魔法人という分け方はしたくないということだった。

魔法が得意な人と、不得手な人がいるというのは事実だ。
けれど、魔法も、魔法以外のもの、
例えば魔力を伴わない言葉や筋力とかいったものも、
価値に違いがあるとは、僕は思わないのだ。
色々な能力がある中で、魔法を使うものが
極端に重視されてはいけないと、僕は思っている。

だから、僕は思うのだ。
魔法は誰でも使える。
言葉だって、回し蹴りだって、立派な魔法だ。
ただ、魔原子を使わないだけで、価値に違いなどない。
そこを大げさに、魔法、非魔法と分けてしまうのはよくないよ。
もちろん、分類としては必要だが、そこに価値の違いを見出しては駄目だ。

そして、だからこそ、
Koya君は優れた魔術師なのだ。
Koya君のぶっぽるは、実は魔法ではないのではないかという疑問は、
みんな、薄々いだいている。

魔法じゃないから何だってんだ。
バカにするなよ、Koya君のぶっぽるは強いぞ。
エリート家系、ウン一族の落ちこぼれだと?
そんなことあるか。


Koya君の拳にこもる魔力は確かに微弱だが、
それをバカにするやつらよりもずっと芯の通った、清々しい魔力だ。
文句があるならかかって来いよ。ユウクが相手をしてやろう。


ユウク=ケダッシュ