[1-10-109-001] とある 魔法学者?の手記

 

 

 我々は、神がこの世を創りたもうた古き時代から今日まで、精霊の力を借り、「魔法」と呼ばれる…我々が望んだものを喚び出す力を使ってきた。

 

 

 “ 魔法 は 神から与えられし 御業 である ”

 

 この地を治める世界の枢軸国は揃って、この教義を教えているように想う。 神が本当にいるかはさておき、この「魔法」という力抜きに自活出来ない程、 魔法は、我々の生活と密接な関係にある。

 

 

 魔法とは、精霊が司る魔法元素(エレメント)を素とし、魔力を高める魔具等を間に挟みながら、魔導師が媒介となり、魔法力と呼ぶ力を消費し、魔法を使う。

 

 と、云った上記のような解釈が一般的になされており、 魔法学校の高位研究者達も、これを定説として使う者が多い。 (魔法力の説明についてはこの手記では割愛させて頂く)

 

 

 しかし、近年、疑問に思っていることがある。

 

 我々は魔法を使う際、こうなって欲しいなどという自分自身の希望の元に魔法を使う。 そして、魔法が発現する際の規模 は 対象者との間の距離・差も含めて、効力や実際の力の大小が決まる。 各個人の持っている魔法力や魔具やエレメントの力の強さでも、もちろん、魔法自体の威力は変わってくる。

 

 

 “ 魔法の威力は基本的に足し算である "

 

 これは周知の式であり、説であろう。(因みに私はと云うと、まだ * と / で発動された魔法は聞いたことがあるだけで、実際に見たことはない)

 

 

 これを読んでいる諸君は不思議に思ったことはないだろうか。 何か目的意識を持って魔法を使った場合とそうでない場合。対象に向けて強い意識を持った場合とそうでない場合等。魔法の効果、もとい威力が、若干ではあるが、違っていることを。

 

 私は、先程の魔法式とは別に、「何らかの力」が魔法に働きかけているのでは無いかと考えている。 だがしかし、その「何らかの力」の正体が一体何であるか、未だ発見出来てはいない。証拠が無いのである。

 

 高位であるはずの研究者達自身でさえも、『偶然』『幸運だった』『思い違いだ』『気のせいだ』『神からの思し召し』と、甚だしくも口走る始末。

 

 彼らを納得させたい。何より、この「何らかの力」が解明されれば、魔法世界は劇的に発展し、変革するかもしれないのだ。

 

 

 

 私は諦めない。私にも人並みの夢があり、希望がある。

 

 この命に代えても、この謎を究明して見せる。

 

 もう少し…もう少しなのだ……

 

 

 

 

 

 ... 執筆者の項は、

   何者かによって消されていて読み取ることが出来ない...